|
■ひとつの時代を築いたフランス人:ジャンヌ・ダルク(Vol.189)
ジャンヌ・ダルク(仏: Jeanne d'Arc1412年1月6日 - 1431年5月30日)は、「オルレアンの乙女」(仏:
la Pucelle d'Orleans)とも呼ばれるフランスの国民的英雄で、カトリック教会における聖人。百年戦争の際にオルレアン解放に貢献し、シャルル7世をランスで戴冠させ、フランスの勝利に寄与したとされています。コンピエーニュの戦いで捕虜となり、宗教裁判で異端者と断罪され、ルーアンで火刑になりました。1412年1月6日、フランスのロレーヌ地方にあるドンレミ(現在のドンレミ=ラ=ピュセル)村の農家に生まれたジャンヌには3人の兄と、妹が1人いました。その頃フランス北部(ノルマンディー)は、ブルゴーニュ派と連合したイングランドに占領されていました。フランスには1422年にシャルル6世が亡くなって以来、国王が不在だったのです。シャルル6世は跡継ぎとして王太子シャルル(後のシャルル7世)を残しましたが、トロワ条約の結果によりフランスの王位はイングランドのまだ幼いヘンリー6世に相続されました。ジャンヌが女性にも関わらず百年戦争に関わることになったきっかけ、それは1425年のある日に聞いた聖女カトリーヌとマルグリット、そして大天使ミカエルの「声」でした。その「声」はジャンヌにヴォークルールの守備隊長ロベール・ド・ボードリクールに会い、オルレアンの包囲を解いてフランスを救うよう告げたのです。1429年4月、ジャンヌは当時イングランド軍に包囲されていたロワール川沿いの都市オルレアンで兵隊たちと共に戦い、翌月イングランド軍を撤退させ、見事オルレアンは7ヶ月以上にわたる包囲網から解放されました。その後、ジャンヌはロシュ城にいた王太子シャルルの下に行き、ランスにてシャルル7世として正式な戴冠式を挙げることを強く主張しました。ランスは歴代のフランス王が戴冠式を挙げていた地。シャルルの王位継承権の正統性を世に知らしめるためには何としてでもランスで戴冠式を挙げる必要があったのです。ランスまで行くにはイングランド軍を打ち破らねばなりませんでしたが、途中の都市を次々と傘下に入れながら進み続け、1429年パテーの戦いでの大勝利をきっかけに、無事7月17日にシャルルはノートルダム大聖堂で戴冠式を挙げ、正式なフランス国王シャルル7世となり、これによってジャンヌの神託であるオルレアンの解放とランスでの戴冠式の両方が成し遂げられました。しかし1430年5月、ジャンヌはコンピエーニュの戦いでブルゴーニュ軍に捕えられた後、身代金と引き替えにイングランド軍に身柄を引き渡され、同年12月24日にルーアンのブーヴルイユ城に監禁されてしまいました。そして1431年2月にルーアンで始まったジャンヌの異端審問裁判により同年5月30日、ジャンヌは異端者として教会から破門とイングランド軍による即時死刑を宣告され、ルーアン市内のヴィエ・マルシェ広場で火刑に処されてしまいました。フランスを長い戦争の苦しみから命をかけて救った少女の伝説は永遠に語り継がれることでしょう。
(Chihiro)
|