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■Vol.196 Midoriのプチ・フランス事情No.2
■Vol.195 マダム谷川のla
vie quotidienne a Paris No.56
England @井の頭
■Vol.194 Midoriのプチ・フランス事情No.1
■Vol.193 マダム谷川のla
vie quotidienne a Paris No.55
パリでチーズケーキ!
■Vol.189 ひとつの時代を築いたフランス人:ジャンヌ・ダルク
■Vol.188 マダム谷川のla
vie quotidienne a Paris No.52
新年のご挨拶



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Midoriのプチ・フランス事情 No.2(Vol.196)

今回は私の好きなパリスポットを紹介したいと思います♪ それはパリ6区にあるst sulpiceのすぐ横にあるカフェ。 普通のカフェなんですが、テラス席が広く、夜はここから見上げるst sulpice教会のライトアップと目の前にある大きな噴水がとっても綺麗!!夜は人通りが少なく、綺麗な教会を見ながら、温かいショコラショー(ここのココアはとっても美味しいんですよ!)を頂けるここのテラスはなんとも優雅。『パリの夜だな〜』と思わず浸ってしまいます。すぐ近くはレストラン街で、とっても美味しいレストランが並んでいるので、是非そこのレストラン街でお腹を満たしてからここのカフェに立ち寄ってくださいね! (Midori)
2012/Apr


マダム谷川のla vie quotidienne a Paris No.56 England @井の頭(Vol.195)
桜の花が咲き 花吹雪のトンネルを抜けると辺りはすっかり春に変わっています。 木立には黄緑色の新緑 家々の垣根からピンク、黄色、紫色の花が顔をのぞかせ この時期は本当にお散歩しているだけで幸せな気分になります。私の住んでいる井の頭には 素敵な散歩道がいくつもあります。そんな中やはり一番のお気に入りは、玉川上水沿いの遊歩道。 昔住んでいた英国サリー州のギルフォード近郊の小さな村の我が家の裏にはポーツマスまで続く長い長い遊歩道がありました。1度息子と2人自転車で挑戦しようとしたこともありましたが、雨が多く大きな木が両脇に多い茂る道はぬかるんで早い時点で挫折しました。ふとそんな日々を思い出す春の散歩道です。
(Ryoko)
2012/Apr


Midoriのプチ・フランス事情 No.1(Vol.194)

日本ではお父さんが自分の子供(赤ちゃんでも)と一緒にお風呂に入るということは普通なことですよね?むしろお風呂は父と子の楽しい時間でお母さんはその間ご飯の用意というのが一般的とも言えるのでは。しかしフランスでは子供がお父さんと一緒にお風呂に入るのは有り得ないこと!一緒に入るとはいやらしいとされるので、親と子は必ずお風呂は別なんだそうですよ。(Midori)
2012/Mar


マダム谷川のla vie quotidienne a Paris No.55 パリでチーズケーキ!(Vol.193)

以前はなかったけれど最近パリで見かけるもののひとつにチーズケーキがあります。確かにチーズ屋さんにある円盤型やFromage blancでつくったベークドチーズケーキは、昔からありました。砕いたクッキー地に濃厚でミルキーなニューヨークチーズケーキやレア・チーズケーキは、見かけたことはありませんでした。ところが、このチーズケーキ、最近パリの街でちょっとしたブームのようです。レストランやカフェのデザートメニューに この"cheesecake"(英語表記)は珍しいことではなくなりました。どうやら以前は手に入らなかったフィラデルフィアが手に入りやすくなった事とスターバックスの進出ですっかりアメリカンスイーツが浸透してきたことがあるようです。パリの友人達は皆”これが!食べたかったのよね〜”と嬉しそう。パリでチーズケーキ 確かに新鮮。でもどんどんアメリカナイズされるパリのスイーツ。ちょっと残念な気もします。 (Ryoko)

2012/Mar

ひとつの時代を築いたフランス人:ジャンヌ・ダルク(Vol.189)

ジャンヌ・ダルク(仏: Jeanne d'Arc1412年1月6日 - 1431年5月30日)は、「オルレアンの乙女」(仏: la Pucelle d'Orleans)とも呼ばれるフランスの国民的英雄で、カトリック教会における聖人。百年戦争の際にオルレアン解放に貢献し、シャルル7世をランスで戴冠させ、フランスの勝利に寄与したとされています。コンピエーニュの戦いで捕虜となり、宗教裁判で異端者と断罪され、ルーアンで火刑になりました。1412年1月6日、フランスのロレーヌ地方にあるドンレミ(現在のドンレミ=ラ=ピュセル)村の農家に生まれたジャンヌには3人の兄と、妹が1人いました。その頃フランス北部(ノルマンディー)は、ブルゴーニュ派と連合したイングランドに占領されていました。フランスには1422年にシャルル6世が亡くなって以来、国王が不在だったのです。シャルル6世は跡継ぎとして王太子シャルル(後のシャルル7世)を残しましたが、トロワ条約の結果によりフランスの王位はイングランドのまだ幼いヘンリー6世に相続されました。ジャンヌが女性にも関わらず百年戦争に関わることになったきっかけ、それは1425年のある日に聞いた聖女カトリーヌとマルグリット、そして大天使ミカエルの「声」でした。その「声」はジャンヌにヴォークルールの守備隊長ロベール・ド・ボードリクールに会い、オルレアンの包囲を解いてフランスを救うよう告げたのです。1429年4月、ジャンヌは当時イングランド軍に包囲されていたロワール川沿いの都市オルレアンで兵隊たちと共に戦い、翌月イングランド軍を撤退させ、見事オルレアンは7ヶ月以上にわたる包囲網から解放されました。その後、ジャンヌはロシュ城にいた王太子シャルルの下に行き、ランスにてシャルル7世として正式な戴冠式を挙げることを強く主張しました。ランスは歴代のフランス王が戴冠式を挙げていた地。シャルルの王位継承権の正統性を世に知らしめるためには何としてでもランスで戴冠式を挙げる必要があったのです。ランスまで行くにはイングランド軍を打ち破らねばなりませんでしたが、途中の都市を次々と傘下に入れながら進み続け、1429年パテーの戦いでの大勝利をきっかけに、無事7月17日にシャルルはノートルダム大聖堂で戴冠式を挙げ、正式なフランス国王シャルル7世となり、これによってジャンヌの神託であるオルレアンの解放とランスでの戴冠式の両方が成し遂げられました。しかし1430年5月、ジャンヌはコンピエーニュの戦いでブルゴーニュ軍に捕えられた後、身代金と引き替えにイングランド軍に身柄を引き渡され、同年12月24日にルーアンのブーヴルイユ城に監禁されてしまいました。そして1431年2月にルーアンで始まったジャンヌの異端審問裁判により同年5月30日、ジャンヌは異端者として教会から破門とイングランド軍による即時死刑を宣告され、ルーアン市内のヴィエ・マルシェ広場で火刑に処されてしまいました。フランスを長い戦争の苦しみから命をかけて救った少女の伝説は永遠に語り継がれることでしょう。 (Chihiro)

2012/Jan

マダム谷川のla vie quotidienne a Paris No.52 新年のご挨拶(Vol.188)

新年あけましておめでとうございます。

昨年はいろいろなことがあり過ぎてあっという間の1年でした。今年もまだまだ安泰とは ほど遠く何が起こるか分からないというのが現実でしょう。皆さんの今年の抱負何ですか?私は 一段と気持ちを引き締めて何事も逃げずに真摯に受け止める1年にしたいと思っています。半世紀わがままに生きてきましたから禊の年です。出来るかな…でもやらなきゃね。皆様への感謝と笑顔を忘れずに頑張ります。
これからも どうぞエスカリエ・セーを宜しくお願い申し上げます。(Ryoko)

2012/Jan
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